2005.2/掲載● 第一回 2005.10/掲載● 第二回 ・ 2007.12/掲載●第三回
【第二回】
2005年5月10日
● ソラの登場
 二〇〇四年の十月、家人が子猫を拾ってきた。近くの小阿賀野川の土手で哀れな声で啼いているのを、見るに見かねて連れてきたものだ。生後二、三ヶ月位のトラ猫の雌である。私は飛び上がって喜んだ。六十一年の都会暮らしを捨てて沢海の里の田舎暮らしを決心した理由のひとつは、動物を沢山飼いたいという少年時代からの夢が実現出来ると思ったからだ。
 はじめ動物嫌いの八十三歳になる義母は子猫を見て、あまりいい顔をしなかった。しかし、今や名実共にエノシカカア(家主嬶、この地方の方言で、実権を握った主婦のこと)となった娘の顔を立てて何も言わなかった。
 子猫の名前を付けるのにひと騒動だった。
 家人は「ミーミー」と啼いていたから「ミーチャン」にするという。「ミーチャンとは何と凡庸で無策な。野良猫だからノラにしたいが、ノラは内田百閧ナ有名すぎる。ソラがいい。君は芭蕉の弟子の曾良にずいぶんお世話になっているし、仏教の空(くう)にも通じる」「全然女の子の名前じゃない、絶対反対」「大の男がミーチャンなんて気恥ずかしくて言えますか。第一ボクにはフニャーフニャーと聞こえるんですが」「何と言おうがミーチャンです」「それじゃ、シドでは」「何よそれは?」「ほら、ミー、ソラ、シドと言うでしょう」「馬鹿!」「それじゃノラが駄目でソラが駄目なら変化させてコラはどうですか。僕の好きなシャンソン歌手コラ・ボケールやモーツァルトの『バスティアンとバスティエンヌ』の占い師の名がコラです」「死んでも嫌!、モーツァルトなんか大嫌い」。
 そこへ義母が入ってきて、どういうわけか当然のように「チョコ、チョコ」と子猫を呼んだ。
 義母とその娘である家人の面白いのは、拾ってきてから十ヶ月もなるのに二人とも「ミーチャン」「チョコ」と呼んで全然譲る気配のかけらも無いことだ。私は私で人前では家人の顔を立てて、(何といってもエノシカカアだから)「ミーチャン」「ミー」「ミー公」などと喚んでいるが、子猫と二人きりの時は「ソラよ、ミーチャンとは世を忍ぶ仮の名であって、君の由緒ある本名はソラなんだよ」と、こんこんと言って聞かせ、上等の餌を与えて覚えさせるのに懸命である。そんな三人の思惑におかまいなく子猫は何と喚ばれようが全く関心を示さない。
 ある夕飯時、私は提案した。「名前はソラのアイデンティティに関わる重要な問題です。何よりもこれでは不便です。呼び名あざ名はミーチャン、ペンネームはソラ、俗名(本名、または忌み名)は三人合わせてミソラチヨコ(美空千代子)ということにしたらどうですか、ついでに戒名は妙空猫児(みょうくうびょうじ)としました」。義母と家人は大笑いしたが、結局は「ミーチャン」「チョコ」「ソラ」と呼んで相変わらずである。
 おまけに隣の農家の、下戸でネコ舌のユタカさんが「オー、ニャンコや」としか呼ばないものだから、私は呆れかえった。とどめは群馬から里帰りした義妹親子である。義妹はソラを見るなり「ハニーちゃん、ハニーちゃん」、その息子は「ミッキー、ミッキー」と数日連呼してまわり、さっさと帰ってしまった。この協調精神のかけらもない身勝手な頑固さは、この家の遺伝子の為せる業なのか、それともこの里の気風なのか。「まあ好きにやりましょう」と私は全く呆れかえってお手上げである。
 ある日見知らぬおばさんがソラを見ると「あらチョコ、チョコ」と呼んだ。「どうして義母がつけた名前を知っているのか」と驚いて尋ねると、新潟のこの地方ではネコのことをチョといい、猫の子はチョコと呼ぶ、とのことである。何のことはない「チョコ」は「ニャンコ」の方言だったのである。
 相変わらずソラはこうした人間どもの騒ぎには全く関心を示さず、何と呼ばれようが誰かに媚びて「ニャン」と答えることもない。
2005年6月8日 ネコテン
 六月になると、庭の花々は実に色鮮やかで見ていて飽きない。真っ赤なヒナゲシの傍にイチゴが実り、コウリンタンポポの赤橙、シランとミヤコワスレの紫が目に染みる。アオキリの大きな緑の葉が、風に大きく揺れ、白やピンクや青のニゲラの花が点在してこまやかに打ち震えている。絨毯のように敷き詰められた黒と緑のクローバに、白い花が咲き出した。
 私は庭の片隅に生い茂っている黒竹を切り落として編み、ヨシズをめぐらして隣の垣根越しに私の庵号「虚空庵」と名づけた四畳半ばかりの「いおり」を作った。頑丈なキーウイの棚を利用したもので、私の好きな白花夕顔の苗を三面にたっぷりと植えた。夏になるのが楽しみである。口の悪い義母や家人は、「ホームレスの家みたい」とあまりいい顔をしないが、「ホームレス、フム、故郷喪失者の私にはピッタリだ」とむしろ感じ入ってますます満足している。
 完成した「いおり」で涼んでいると飼い猫のソラが庭に出てきた。たちまちヒナゲシの群れに身を潜めたので、見ると熊蜂がソラの鼻先で飛んでいる。ソラは猛然とダッシュしたが捉え損ねた。しかしソラの関心はあらわれた二匹の紋白蝶に移り、1メートル以上のジャンプをして捉えようとするが何度失敗しても繰り返して飽きない。花々の中でまるで嬉々として踊っているようだった。
 そこへいつの間にか隣の農家のかみさんが来て「アーラ楽しそう、ネコテンね」という。「エッ、ネコのテンプラ?!」「ギャーッ、なんという残酷な!」「すみません、今紫蘇の葉を見ていたもので、テンプラが食べたいと思ったものですから」「ネコの天国だからネコテンと言ったのよ」「なるほど」
 確かに都会のマンション住まいで、外に出ることのない家ネコから比べれば、二百坪の庭持ちのソラはうらやましいご身分である。ソラはまことに「好奇心の強い女」で(昔そんなタイトルの映画があった)何にでも関心を示し穴や暗がりがあると首を突っ込み、動くものにはどんな小さな虫にも興味を示した。
 弱ったことに興味を示すばかりではなく、驚くべき殺戮者でもあった。生まれて1年にもならないと云うのに、手当たり次第に彼女は襲いかかった。今日までに野ネズミ五匹、スズメが八羽、ムクドリが二羽、トンボが十匹、蝉も二、三〇はある。蠅取り蜘蛛は、摺り殺し、蟷螂やショウリョウバッタは数え切れない。
 彼女は、そのどれも食するわけではない、死んでも興味が無くなるわけでもない。バラバラになるまで弄ぶだけだ。これには正直困った。珍しいコムクドリを銜えてアトリエに入ってきた時は、さすがに彼女の隙をついて保護したが、コムクドリは飛び上がることは出来ても、飛ぶことが出来なかった。スズメも同じだった。羽の筋にダメージを先ず与えているとしたら、全く見事な狩りの本性ではないか。コムクドリやスズメは飛ぶことが出来るまで鳥小屋に保護したが、ソラはそのコムクドリやスズメを狙って、金網に飛びかかり、隙間から押し入ろうとする。その度にコムクドリはパニックになり大騒ぎする。獲物を横取りされた腹いせのつもりか、実に執拗に鳥小屋に襲いかかる。結局、小鳥たちは一週間後に死んでしまった。ソラを飼うまでの、田舎暮らしの無聊を慰めてくれた小鳥や虫たちのことを思うと、心中穏やかはなく、かといってソラの本性を叱ってみても仕方がないことである。
 そこで私は進退窮まったが、やむを得ず一つの原則をたてた。
 「ソラが掴まえた小鳥や虫たちが、既に殺されて死んでいたらソラの好きなようにさせる。しかし、私の目の前で、まだ生きているのならば助けて逃がすか保護する」と。
 今日もアトリエに大きな揚羽蝶が舞い込んできたが、ソラがジャンプして掴まえ損なったところで、網で掴まえ畑に放してやった。ソラは脱兎の如く追いかけたが、畑なら揚羽蝶が捕まることは先ずない。やれやれ……。
2005年8月8日 カエターノ・ヴェローゾ
 少年時代から私は映画狂だった。それゆえ田舎暮らしを決心した時から、東京の貸しビディオ屋を探し回って、見たかった映画を片っ端からダビングした。持ってきたビディオは千二百巻。ところが沢海の里に転居して驚いたのは、自転車で二十分ほどのところに、大きな貸しビディオ屋があり、結構安いのだ。嬉しい誤算だった。一番私がリラックスするのは、つまりだらしがないのは、誰もいない屋根裏部屋で好きなビディオを見ながら、ビールを飲んで、うとうととしている時だ。
 昨日『トーク・トゥ・ハー』(スペイン・二〇〇二年製作・ペドロ・アルモドバル監督)を観た。映画の中でブラジルの歌手カエターノ・ヴェローゾが「ククルクク・パロマ」を歌うシーンがある。この「ククルクク・パロマ」はメキシコの歌で、ベラクルス地方に伝わるヴァバンゴという民俗舞踊曲のリズムに乗った快適なテンポの曲である。私はこれまでラテン的で明るいハリー・ベラフォンテやトリオロス・パンチョスの演奏しか知らなかった。ところがカエターノは、ハリー・ベラフォンテ等が歌っている通俗的な歌詞ではなく、原詞、「夜毎彼は泣いて泣いてばかりいたそうだ/ 何も食べずに死ぬまで彼女の名を呼び続け/ 恋焦がれて死んでしまったそうだ/ 住む人のいない家の明け放れた戸のそばで/ 毎朝一羽の鳩が飛んできて/悲しそうに泣いているあの鳩は/きっと彼の魂に違いない…… 」
を、噛みしめるように、囁くように、呟くように、息も絶え絶えに歌う。ラテン的な明るさなど微塵もないのだ。
 才人ペドロ・アルモドバル監督の映画はいつも刺激的で興味深いものだし、カエターノのこの歌を挿入することによって『トーク・トゥ・ハー』の悲劇的な「愛」の主題がより効果的になったのはわかるが、私はただただ、カエターノの歌に戦慄し圧倒されて、映画的感興が消し飛んでしまった。歌にこれほどの力があるのかと。
 私は、すぐインターネットでカエターノのCDを注文した。
2005年9月10日 『 生物から見た世界』

 東京から持ってきた書籍が、一万二、三千冊ある。それを読破する毎日で、新刊書を買うことは、ほとんどない。東京時代は週に五、六回は神田の本屋街に通ったものだが、ここ沢海の里では、本屋のある新潟市まで一時間に一本しかないバスに乗って五〇分もかかるものだから、新刊書のニュースからも遠くなるばかりだ。
 先日テレビを見ていたら、「ブック・レビュー」という番組で、旧知のグラフィック・デザイナー鈴木一誌さんが、ユクスキュルの『生物から見た世界』を推薦本として取り上げていた。私は驚いて、翌日新潟まで買いに行った。この本は読みたかった本の一冊で、まさか翻訳されているとは思わなかった。薄い文庫本なので興味深くすぐ読み終えた。
 この生物学者ヤーコブ・フォン・ユクスキュルが一九三四年頃刊行した『生物から見た世界(原題・動物と人間の環境世界への散歩)』は、ハイデッガーの『存在と時間』の中の重要な概念、「世界・内・存在」の成立に少なからぬ影響を及ぼした「環境世界理論」を述べた諸研究本中の一冊であるらしい。ユスキュルのことは、木田元著『ハイデッガー「存在と時間」の構築」』で知って以来、気になる学者だった。
「世界」は、それを見ている「主体」の相違によって、全く違った「世界像」が結ばれる。犬には犬の、ネコにはネコの、人間には人間の。その「主体」は環境世界の中に置かれてはじめて理解されるもので、分類学や解剖学といった研究室の、物理学的化学的対象の中では表れない。現在でも、ともすれば人間中心的な世界理解のもとに環境世界を考えがちだが、動物たち自身の眼差しから環境世界を考えることの重要さは、ますます有効な考え方だろう。
 関連して思いだしたことがある。二十年以上も前のこと、鈴木一誌さんの師匠杉浦康平さんが、飼い犬のダックスフンドが見た「環境世界地図」を作製したことがある。「臭い」を中心に描かれたその地図は、抱腹絶倒もので、その着想の卓抜さに舌を巻いたものだった。