コシ・ファン・トウッティ「女はみんなこうしたもの」

k588 全曲

春や

銀座

コシ・ファン・トウッティと

六法踏み

●私はコンサート・ホールが苦手で、めったに出かけない。群衆の中でモーツァルトを聞くという「祭儀的猥雑」さが苦痛なのだ。それに高価なチケットのわりに優れた演奏に出会うことも、ほとんどなかった。
しかしそんな私にも忘れがたい演奏会がある。1986年に来日公演したロイヤル・オペラの「コシ・ファン・トウッティ」である。この舞台は、私にとって理想的な「コシ・ファン・トウッティ」であった。
それはなによりも二組の恋人たちを演じた歌手たちが美男美女だったことに尽きる。フィオルデリージを歌うキリ・テ・カナウもさることながら、初めて見るドラベッラのアンネ・ゾフィー・フオン・オッターの美しさは私は唖然とする思いだった。加えてグリエルモのウイリアム・ジメルやフェランドのジョン・エイラーのその見事な色男振り!、カブリエル・フェッロの指揮は、軽快にたおやかにまるでプーシェの絵のようなロココの明るさと「軽薄」さを浮かび上がらせる。ロココの衣装に身をまとった美男美女が演じてこそ「存在の耐え難い」この「コシ・ファン・トウッティ」の「軽薄さ」が、モーツァルトの音楽によって「真実」となる。つまり「軽く沈む」のだ。
●たまたま、鬱ぎの虫に取り付かれると、部屋にこもってモーツァルトばかり聴く。歌劇「フィガ口の結婚」のフィナーレを聴いて、世に言うモーツァルティアン(モーツァルト馬鹿)に成り果てた私だが、そういう時は、声楽曲の持つ肉体的な具体性が苦痛になり、器楽曲、特にヴァイオリン・ソナタを良く聴く。ただし、管楽合奏に依るモーツァルトの歌劇は、むしろ心地良く響く。様々なレコードが出ているが、A・R・ジョンソン指揮、ニューヨーク・フィロムジカによる「フィガロの結婚」と「コシ・ファン・トウッティ」が見事である。このフィロムジカの管楽奏者たちのアンサンブルは舌を巻くほどうまく、特にフェランドのアリア「いとしの人の愛の息吹きは」における、ランドール・ヴオルフガングのオーボエ・ソロは、実際のテノールのアリアよりも官能的で、メロディラインがくっきりと色鮮やかな虹となって浮かび上がる。
●「六法」は歌舞伎用語。役者が花道から退場するときなどに、大きく両手両足を振り、形をつけて進む所作の一つ。「六方」とも書く。
●季語は「春」。立春から立夏の前日までを、俳句では春とする。

少年や六十年後の春の如し  永田 耕衣

呼び鈴を押せば倒れる春の家  滝口 春男

紙本墨画 着彩

33cm x 33cm
1999年