ピアノ協奏曲二十三番イ長調

k488

第一楽章アレグロ

モーツァルトの

楽や

鬱金や

片陰り

●「循環気質」とは、ドイツの精神医学者クレッチマーの性格類型の一つである。循環とは、躁状態と鬱状態の気分が繰り返し交互に現れ、変動していることを指す。肥満型の体格という肉体的な体質に対応し、内因性の精神病と親近性があるとされている。それゆえ「躁鬱気質」ともいう。「循環気質」の人は、親切で、愛想が良く、あまり人のことは気にせず、おしゃべりを好み、抽象的な事柄に掛かわりあうことが嫌いで、現実に身を処することはきわめて心得ている。彼は、自分の生活に満足し、忙しく働いたり、人に会ったりする事を好み、俗世間の楽しみを味わい、ユーモアを解する。しかしこの気質の持ち主はある時急激に沈み込むことがある。するともう、悲哀の感情に浸り込み、極端になると自殺を計りさえする。しかし、この気分が過ぎると、後には何も残さない。以上のクレッチマーの論を参考にして、私は次のように結論付けている。モーツァルトにヴォルフやシューマンのような、内因性の躁鬱病は全く考えられないし、最晩年に現れた神経症的症状も、反応的な一過性のものであり、決して慢性的なものではなかったと。モーツァルトは嬉しい時は飛び上がって歓び、悲しい時は悲嘆に暮れた。たとえそれが度を越したとしても、それは彼の気質である循環性に由来するものだと。そしてこの気質こそ、彼の楽想の根本気分を支えたのだ。短調と長調、喜びと悲しみ、明と暗、光と影、生成と破壊、生と死、存在と虚無、対立するニ項を激化させ、そのニ項をそのまま虚空に解き放つ。
●ハイドシエックがヴァンデルノート指揮で弾いた旧盤が素晴らしい。特にその第一楽章において、ピアノとオーケストラがなだれ込むように休止したかと思うと、たちまちにして蘇る生き生きとした音楽の流れは、息つく暇もなくあざやかである。長調と短調のゆらめぎも筆舌につくし難い。
●季語は秋に咲く「鬱金の花」。みょうが科の多年草。葉は芭蕉の葉に似て、根から群れて出る秋に花穂が出て、莟が重なりその莟の間に三、四個の淡黄の花が咲く。

芭蕉にも思わせぶりの鬱金哉  上島 鬼貫

時雨馳せうこんの花のさかりなる  大野 林火

薬園の鬱金の花の夜も匂ふ  寺田 木公

33cm x 33cm
1999年