コンサート・アリア

「どうして、あなたが忘れられようか」 k505

海遠く

アリアも

遠し

貝割菜

●1786年12月26日「フィガ口の結婚」のスザンヌを歌ったイギリスのソプラノ、ナンシー・ストレースのためにヴィーンで作曲された。翌年2月23日、ナンシー・ストレース(モーツァルトの愛人?)が、ロンドンに帰るに際して催された演奏会で歌われ、その時モーツァルトが自らピアノを弾いた。コンサート・アリアというよりソプラノとピアノの協奏曲といったほうが、適切かもしれない。
●私はイタリア歌劇には全く関心がない。時たま聴いてもすぐ飽きる。自分だけがうっとりしているようなテナーの声を聴いていると、「テノール馬鹿」とはよく言ったものだと納得する。ヴェルディの「アイーダ」なんぞは、馬鹿が戦車でやってくるようなものだとつくずく思う唯一聴くに耐えられるのはプッチーニの「ラ・ボエーム」である。しかしこの「ラ・ボエーム」のアリアとモーツァルトのアリアを比べてみると、モーツァルトの天才が那辺にあったかがよくわかる。モーツァルトのアリアは、人声とオーケストラが有機的に結びつく。歌詞の深い洞察の上に、オーケストラは単に歌詞の意味を説明的になぞるのではなく、一体となって分かちがたく緊密に協奏する。そればかりではない。時には許し救う。つまり形而上化しているのだ。その反対の例が「ラ・ボエーム」のアリア群である。「ラ・ポエーム」のアリアは、ドラマとは無縁にただ無機的に美しい。プッチーニのアリアは、歌詞の音楽化ではなく、メロディーが先行してあり、後で歌詞をくっつけた、かの如く無内容なのだ。音楽は進化しない。西洋音楽はモーツァルトで終焉し、以後はただ、退廃を繰り返すばかりだ。
●ジョン・プリッチャード指揮、ジェフレィ・パーソンズのオブリガード・ピアノで歌うテレサ・ベルガンサがベスト。今後もこれを超える演奏が出ることは無いだろう。ベルガンサ自身が15年後のデッカ盤「ソプラノのためのコンサートアリア集」に参加しても、この曲だけは、再録しなかった。モーツァルトの全レコードの中でも、屈指の名曲の名演奏である。
●季語は「貝割菜」。秋の季語で、大根や蕪、菜の類は秋の始めに種を蒔くが、まもなく萌えだしたものをいう。

ひらひらと月光降りぬ貝割菜  川端 芽舎

貝割莱うつくし伊賀に住む人ら  阿波野 青畝

月光の針のむしろの貝割菜  平井 照敏

土割ってひしめき光る貝割菜  坂本 草子

もう種でなくまっさをに貝割菜  永田 耕衣

紙本墨画 着彩

33cm x 33cm
1999年