歌曲「春へのあこがれ」

へ長調 k596

あこがれは

「春への

あこがれ」

聴きしより

●私は2003年の3月、念願だった「モーツァルト全作品作曲年月日順C。D」を完成した。作曲年月日の不明なもの、未録音のものなどがあり、完全を期することは、到底不可能だが、とりあえずK1aからK626までを、163枚のC・Dに収めた。恐らく世界でも初めての試みではないかと自負している。1年近くの作業だったが、このC・Dは今や私の「宝物」と化した。書簡や年譜をたどりながら、このC・Dを聴くと、モーツァルトの生活と作品の関係がよりいっそうリアルタイムに感じられ興味が尽きない。アトリエに持ち込むC・Dを、33歳のモーツァルトにするか、28歳のモーツァルトにするかなどと楽しく迷い、聞きながら、絵を描いている。そしてモーツァルト忌の12月5日には、必ずモーツァルト最後の年、35歳のC・Dを全曲聴くことにしている。
●この歌曲「春へのあこがれ」が1月5日に作曲完了したピアノ協奏曲27番の第三楽章ロイド主題からの、転用であることは知っていたが、9日後の14日に、はやばやと転用作曲された生々しさは、この「モーツァルト全作品作曲年月日順C・D」を聴いたならではの事だろう。
●「あこがれ」とは、現状から脱出して速く理想の状態になることを望んでやまない、満たされぬ心のことである。もし人に「あこがれ」という希望がなかったら、生きていくことは難しい。人は旅にあこがれ、まだ見ぬ土地にあこがれる。いや人は「死」にあこがれてさえ、生きていく事が出来るのだ。この「あこがれ」について、最も真実で、それ故美しい言葉を記しておきたい。
「神は憧憬として、不在の中に臨在する」(『現代のキリスト教』小田垣雅也著より)
●「子供のモーツァルト」という、子供向けに語りの入ったドイツ・グラマフォン盤がある。このレコードには、モーツァルトが幼い頃作曲したケッフェル番号以前の「oragna figata fa marina gamina fa」という歌が幼児の声で入っている。モーツァルトは夜になると、この歌を父と一緒に歌うのが日課だった。歌い終ると満足して眠りについた。それが10歳になるまで続いたという。レコードではこの盤でしか聴くことのできない貴重な盤だ。そして、このレコードで聴くことの出来る少年合唱団の「春へのあこがれ」が忘れがたい。少年たちの歌声は、ヴィーン少年合唱団のように垢抜けしていず、この歌曲の濁りのない淋しい明るさを民謡風に素朴に歌い上げている。
もともとこの曲は、子供向けの雑誌の依頼で作曲されたものであり、子供の声で聴くのが最良だろう。
●季語は「春」。

タ闇に春の魚を土産とす  水野 五反

猫踏んでいよいよ春になりにけり  星野 洋輝

33cm x 33cm
1999年