オーボエ四重奏曲ヘ長調

k370

第三楽章ロンド・アレグロ

草笛や

アレグロは

無常

迅速に

●アンリ・ゲオンがフルート四重奏曲K285の第一楽章を聴いて「疾走する悲しみ」(小林秀雄・訳)と言ったが、私はむしろこのオーボエ四重奏曲の第三楽章、ロンド・アレグロにそれは近い「無常迅速」をいつも感じる。アラントの訳が「疾走する」であれ「爽快な」であれ、「悲しみ」という言葉に、アンリ・ゲオンの主情的でセンチメンタルなカトリック的限界がある。冷徹に「無常」なのだ。
●禅の修行道場の鳴り物の一つに版木というものがある。厚い欅の一枚板で、その板に「生死事大無常迅速」と書かれてある。「生死の問題は、重大なことである。死は、たちまちにしてやってくる」と言うことだろう。中国禅宗五祖弘忍が弟子たちを教化する時に初めて用いたといわれる。「無常」は、日本では「あはれ」「かなし」「はかなし」と情緒的に把握されているが、インドでは、死体の腐乱過程を凝視する修行が行われていたほど、徹底的な現実認識の在り方であった。
●「無常迅速」が、より過酷に耐え難く聞こえる音楽が、ト短調の弦楽五重奏曲第一楽章のアレゴロである。この痛切無比な音楽は、ロマン主義などというものを、遥かに凌駕してしまって終末論的だ。特にトランプラーのビオラとブタペスト弦楽四重奏団の盤で聴くと、この曲は私の心をいつも不安にし、封印していた絶望的な心象風景をえぐり出す。私はいたたまれなくなり、端ぐ。あらゆる音楽の中でこれほど喪神的に虚無が露わになった曲は無い。この露わになった虚空音こそ、治癒美神モーツァルトがたどり着いた絶望の深さである。そしてこのモーツァルト固有の虚空音によってのみ、私は癒され救われたのだ。アインシュタインが、西洋キリスト教の文脈に沿ってこの曲をゲッセマネにおけるイエスの絶望の深さに例えたが、正しくイエスの絶望の深さが、贖罪となって人々を救済するように……。
●文句無しのベストレコードは、ホリガーのオーボエとクレバースがヴァイオリンを受け持った旧盤である。再録されたオルランド弦楽四重奏団との協演は生気を失って自発性に欠けている。レコードにおいても、演奏の一回性の不思議はある。円熟して録音し直しても、自分の若さが超えられるとは限らないのだ。同じように再録されながら、旧盤を超えられなかった例は、クラウスのピアノ・ソナタをはじめ以外に多いのに驚かされる。
●季語は「草笛」。夏の季語で、やわらかい草の葉や木の葉を、唇につけて吹くと、するどく笛のように鳴る。唇の当て方と息の加減で、童謡や歌を吹き鳴らすことが出来る。

草笛で呼べり草笛にて応ふ 辻田克巳

草笛や父恋ふひとに背負われて 金森三猪

紙本墨画 着彩

33cm x 33cm
1999年