歌曲「すみれ」ト長調

k476
刺青を
背に
「すみれ」聴く
男かな

●フランク・ダラボンが脚色監督したアメリカ映画「ショーシャンクの空に」に、忘れがたい場面と言葉がある。ショーシャンク刑務所に終身刑で服役したアンディが、所長に反抗して、刑務所内のスピーカに、「フィガ口の結婚」の「手紙の二重唱」を流す場面がそれだ。青空に広がる伯爵夫人とスザンナの甘美な旋律、およそ場違いな音楽に、茫然と聞き入る何百という囚人たちの中で、アンディの友人である殺人犯のレッドが呟く。「俺にはこれが何の歌かは分からない。
しかし、よほど美しい歌なんだろう。心が震えるのだから。豊かな歌声が、俺たちの頭上に優しく響き渡る。美しい鳥が訪れて、刑務所の高い塀を消すようだ。短い間だが、俺たちは皆自由だった」と。そしてこの事件で2週間も懲罰独房に入れられたアンディが、囚人仲間の質問に答える。「地獄のような穴蔵で何をしていた」「モーツァルトを聴いていた」「穴蔵にレコードは無かったろう」「頭の中で、心の中で聴いていた。音楽は決して人から奪えない」。モーツァルトの音楽の威力を、映像と言葉によって、これほど的確にメッセイジーした映画を私は他に知らない。誠に、自由を渇望するほど存在が危機に直面すれば、モーツァルトの音楽は、必ずその正体を現して我々を救い癒す。それはすみれのように咲き、雲雀のように鳴く音楽なのだから。
●モーツァルトの音楽が、映画やテレビに登場する例は、どの音楽家よりもおそらく一番多い。
その中でアニエス・バルダ監督「幸福」のクラリネット五重奏曲、タビアーニ兄弟監督「カオス・シチリア」のバルバリーナのカヴァティーナと共に、この「ショーシャンクの空に」の「手紙の二重唱」は、映画史上モーツァルトの音楽の本質を見事に映像化した稀な例といえる。
●歌曲「すみれ」はモーツァルト29歳の1785年6月8目、ヴィーンで作曲された。詩はゲーテの若い頃の「エルヴィンとエルミーレ」からとられた。しかし印刷ミスのために、モーツァルトはゲーテの詩だとは気がつかなかった。ゲーテもこの曲を聞くことはなかった。
●この「すみれ」に限らず歌曲は、イエルク・デムスのピアノで歌ったエリー・アメリンクがベストである。バーバラ・ボニ一、白井光子がそれに続く。
●季語は、「すみれ」。すみれはスミレ科の多年草。春の野山、畑の畦道などに自生し、種類も多い。

山路来て何やらゆかしすみれ草 松尾芭蕉

かたまって薄き光の薫かな 渡辺水巴

すみれ摘むさみしき性を知られけり 三橋鷹女

薫咲いてあるかなきかに人住めり 橋・石

紙本墨画 着彩

33cm x 33cm
1999年