ロンドンのスケッチブックより

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夭折の

妬ましき

曼珠沙華

●「最善は生まれでぬこと、次善は早く死ぬこと」、とは、ソフオクレスの悲劇「コロノスのエディプス」の中の言葉である。そして「生まれることは不幸であり、生きることは苦痛である。
死ぬことは厄介である」とは、フランスの聖ベルナールの言葉である。こうした西洋の「生誕の厄災」説は、また東洋の釈迦の「四諦説」の教えでもある。曰く「生は苦であり(苦諦)、苦は欲望があるからであり(集諦)、それ故欲望を滅すること(滅諦)、正しい方法を学んで(道諦)、自由を得ること」つまり、生誕を厄災ととらえた、緩慢な自死の教えである。
●モーツァルトの父レオポルドと、母アンナ・マリアは7人の子を生んだ。しかし5人までは6ヶ月足らずの間に次々と死んだ。育ったのは、4番目に生まれた三女のナンネルと、三男で最後のヴオルフガングの2人だけである。早世したモーツァルトの2人の兄のうち、次兄ヨーハン・カールの添え名はモーツァルトの呼び名、神に愛でられた者の意の「アマデウス」と同じであった。
この「神に愛でられた者」として、わずか3ヶ月で死んだもう1人のアマデウスを、記憶に留めておきたい。おなじく「神に愛でられた者」であリながら、35歳と10ヶ月近くも生き延びたモーツァルト(当時の平均寿命は男子で35歳から40歳だった!)の、遥けくて遠いロココの昔を、想い出しながら…。
●1764年、8歳のモーツァルトは、クラピアのための42の小品「ロンドン・スケッチブック」を、翌1765年にかけて作曲した。その中のホ長調のメヌエットのトリオを、ジルベルト・シュヒター老人のピアノで聴き、私はモーツァルトの「存在の不幸」というものに深く思いめぐらした。
小林道夫やエリック・スミスの、早いテンポのチェンバロ演奏では、全く気がつかなかったもの、そのものが、深々とゆっくりとしたメロデーの歩みの内に、陽炎のように立ち現れてくる。それは、シュヒター老人が探り当てた少年モーツァルトのメランコリーともいえる。勿論、モーツァルトにとってそれはまだ自覚的なものでは当然ない。しかし、それゆえモーツァルトの生涯と作品に露わな、「存在してしまった者の憂愁」が、いかに宿命的なものであったかがよくわかる。
●季語は「曼珠沙華」、秋に咲くひがんばな科の多年生草木、墓地などでよく咲くので、別名彼岸花、死人花、ともいう。

曼珠沙華哀しみは縦横無尽  塚本 邦雄

曼珠沙華いずれは天も罅われむ  河原 枇杷男

曼珠沙華鬱病の金極まれり  安田 鐙

空虚したとへば曼珠沙華流れ  大野 美沙子

紙本墨画 着彩

33cm x 33cm
1999年